2021/10/02

おわりとはじまり、老い、死、再統合

さいきん時々思い出す。

キネシオロジー五行メタファー本「水」の項目にある、「老い、死、再統合からなにを連想しますか」というフレーズ。

おわりとはじまりはいつも同時に起きている。だから、一瞬一瞬わたしたちは今を選び続けてここにいて、選ぶものを変えることもできる、選ぶものを変えれば、、、ということになるのだけれども、

人の脳や記憶はたぶんちょっと複雑で、時間という連続性のなかに生きている感覚であったり、選択に紐づいているもろもろがちょっと重かったり、大概は自分以外のなにかと共鳴しているし、それが過去や過去生の場合もあるから、

かんたんではないよね。

うん、かんたんではない。でも難しくもない。 ←さいきんお気にのフレーズ(笑)

 

時間という連続性のなかに生きている恩恵もある。

左脳があるから言葉を話せる。

すべて、あるべくしてあっていて、そこに良い悪いはない。そして本当はただあるだけで、あるべくもナニベクもない。

あるものと自分が共鳴してなにかの感覚が生じる。またあるものと自分が共鳴して何かの感覚が生じる。それはときに不快なものかもしれない。それもまた一つの結果。

わたしたちは、現象という結果を見ながら生きている。

結果のもっとまえに、手前に、ずっとずっと前に、発露しているものがあり、そのもっとずっと奥には、限りなく湧いて溢れるいのちの大きなおおきな泉がある。


 

参考 『タッチフォーヘルスハンドブック五行メタファー』(amazon)