2020/09/12

赦し

ビックリぽん。

ふと「私は生きていてよい」というフレーズでON・OFFとったらガッツリOFFだった!(@_@)

oh、と思って、調整したらダブルでビックリ、いっつまで経ってもONにならんのw

アロマの数、じつに14本…光から始まり、オーラや任脈、無為自然、チャクラ、香氣、ひゃ~。


途中興味深かったのが、キリスト教の意識のなかで、髪の長い女性が「罪深き私をお赦しください」って祈ってるの。それが「赦されない」って思ってるのね、その女性。
何度か出てきたなあ。

それから。
そもそも生きていてはいけないという罪の意識がありつつの、その上で「攻撃することは、自分が正義であり生きていていいという大義名分」という歴史に繰り返された意識を感じたこと。

エンタメで殺戮シーンで生き生きとする場面、あるいは誰かをターゲットにして叩く背景にも、もしかしたらそもそも無意識の罪の意識を持ってるということがあっての生きるためのエネルギーを得てるのかな、と思ったり。

ほいで、「罪深き私」も「攻撃することは~大義名分」も私のうちにあった意識だと感じた。どこが、とか、いつ、とはハッキリわからないけど。

罪悪感は持たなくていい、っていうけども。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」じゃないけども

罪悪感ってけっこう集合意識的に根深い意識なのかも、みんな何かしらやらかしてるし、

これは前から思ってたことだけども「一生をかけて罪を償う」って要るのかなあ?って思うんだよね、もちろん法律上は刑期ってあるわけだけども、国によって基準も違うし、

これからの時代は赦し赦されて生きている、っていう意識が強くなるとよいのかなー。

ともあれ、フタを開けてみたらビックリの調整だったよ。

2020/09/11

身体の神秘。

副腎のサプリをもう半年以上飲んでるだろうか。

その間に何度も大きな解放があり、そのたびに思ったことがある。

ああ身体は今まで待っていてくれたんだな、って。

副腎のサプリを飲むにつれ、なにか、身体の許容範囲が大きくなっているというか、今までだったら出てこられなかっただろうな、という症状や感情が出てきているんだな、というのを何度も感じた。

それをぐるりとひっくり返してあらわすならば「神様は解決できない問題は与えない」ということだし、

今まで保持(?)していてくれた身体にも、心からのねぎらいと感謝を伝えなければ。今までずっと持っていてくれてありがとう。私を壊さないように守っていてくれてありがとう。

そして一気にだーっと解決して終了することを望んだりもするけれども、やはりほとんどのプロセスは「一歩ずつ、地道に、玉ねぎの皮を剥くように」ということなのだ。

続く炎症に、とうとう去年はずっと使っていたカシミヤがイタイと感じるようになり、今はコットンも痛い。早く元に戻ってほしいな。

そして私にできるのは焦らずただ見守ること。

もしかして✨

胃のケア、小腸のケア、肝のケア、っていうのとは違って、副腎(腎)のケアって、もう一歩深いところが変わろうとしているのかもしれない。(仮説。)

ここしばらくで消化しつつある感情や気づきが、けっこう大きいものばかりなんだよね。

いずれは、以前気功治療を受けたときの「大きく広がった無敵感」あの感覚がデフォになるといいな。あれが本来の私だから。