2019/10/28

人の振り見て我が振り直せ、と、親の愛情。

親、あるいは養育者は、
赤ちゃんであったときの自分がまず無意識にコピーする存在です。

飲食店などで30代、40代以上の方とその親御さんを見かけることがあったら、ぜひ失礼にならない程度にwチラ見してみてください。
お母さん、お父さん、どちらにかわかりませんが、姿勢も食べ方もそっくりだったりします。ついでに歩き方も。脳の使い方が同じってことですね。すると、思考回路なんかも似てくるんでしょう。



去年父が亡くなり、今までほとんどなかった家族との交流がはじまりました。20年前には既に家族と没交渉状態だったので、はじめは相当に緊張しながら、今はおもしろがりながら、母や弟たちのキャラクターを知っていっています。

とりわけ、母観察は興味深いのです。

自分とそっくりな言動をするときが、特に。いや、そっくりなのは模倣した私のほうなのですが(笑)

「これいつも私がやりがちなことだ!」この1年で何度気づいたでしょうか。

イヤだなと思うことも正直多々ありました。欠点ほど目につきますから(笑)

1つ例を挙げると、母には、先回りしてあれこれ配慮しすぎる癖があります。年代的に、父もその父も亭主関白だったということもあります。

・面倒だから言われる前にやっておこう
・自分のことより子ども優先(その子どもたちはもう30、40歳だというのに!)
・1聞かれたら100説明する(笑) 失敗から学ぶのは大切なことだと思いますが、これだと失敗のしようがない。私ができないことや失敗を極度に恐れていた理由もなんとなくわかりました。
・頼んでいないこともあれやこれやと提示してくる

などなどの先回り癖。

あああ私も同じことをやっていた…あれこれいらんことを言いすぎる癖があった…
それが、相手にとっては情報過多になってイラつかせたりプレッシャーになったり悲しませたりすることもあったと思う。
だから今「言わない」練習をしています。



精神的自立において一番大切なのは、基本的に自分で考え・選択・行動できることだと思うのですが、あまりに先回りしすぎるとそれができなくなります。正解はなんだろう?失敗しない道は?などと探してしまう。けれど、失敗しない道はないし、正解もないのですよね。

まだキネシオロジー(セラピー)を知る前に知った、小谷美紗子さんの歌に『エリート通り』という曲があります。
その歌詞の「小さい頃にできなかった失敗の集まり」というフレーズがパッと耳に飛び込んできて「これだ!」と思ったことを今でも生々しく思い出します。

>> 動画:小谷美紗子『エリート通り』


先日母と話したとき、なんの流れか「あなたは(第一子だったし)本当に大切に育てたのよ」と言っていまして。

本当にそうだったんだろうなあ、と。

また、これを聞くのは2度目だったのですが1度目はキネシオロジーに出会って自分を振り返っているときだったのでとても苦々しく聞こえたのが、今回は同じ言葉を同じテンションで伝えられたのに、そうしてもらったことの有り難さや愛情も同時に受け取ることができて、

なんだかいろんな意味で感慨深いなと思ったのでした。



結局、両面なのです。悪いことだけではない、良い側面もある。それが事実(起きたできごと)なのです。

2019/10/27

芋掘りから宇宙が見える❤

さつま芋掘りに行って、こんなことを思った。

その対象をよく観察すること。
その対象の自然な状態に抗わないこと。
それが一番早くうまくいく。

世の中にいろんなハウツーはあるけど、何冊本を読んだりセミナーに出るよりも、自然観察から学べることは本当に本当に多いと感じます。

自然な状態に抗うって、大体なんでもキツイよね。



さつま芋は、土の中に隠れています。それを軍手で掘って探します。

どこにどんな大きさの芋があるか、わからないから、掘っていくとだんだん感覚優位になります。

この子は大きいな~。あれ、意外と小さかった!掘って姿が見えて初めてわかる。

いくつか品種があるみたいで、30cm以上のなが~い子もいました。変な形の子もたくさん。スーパーに出ているのはある程度形が揃っている、あれはハネてるからだね、って、忘れていたことを思い出す。

あ、見えたと思って早々に取りだそうとすると折れる(笑)

しばらくすると、こちらの方向にはえてるのだからこう抜こう、とか、今はまだ抜くのは早いな、もう少し掘ってから、とか、力の入れる方向やタイミングを見極めて、折れずに、それどころか力をほとんど入れなくても抜けるようになるわけです。

なるほど。

ちゃんと状態を観察して、
ちゃんとタイミングがあって、
不自然なベクトルにパワーをかけなければ、自然の方向にうまくサポートする力を働かせれば、
びっくりするくらいに自然に、スッとうまくいく。必要以上の「りきみ」はいらないのだ。



ひさしく名刺を持っていませんでした。
最近は知り合うとSNSだし、なくても困らなかった。

でも、急に作りたいって思ってね。
仕事するんだから名刺必須とか、そういうんじゃなく、ごく自然に。

で、どうせ作るなら「とりあえず」じゃなく「これがいい」っていうのを作りたいと思ったら、ちょっとこの人に見てもらってから印刷出したいな、ってセッションをお願いして、ごく自然に。

ほんとうに思いがけず、とてもいいものができた。自然のタイミングってすごい、って感動した。



こんなとき、ほんま先生の言葉を思い出します。

キネシオロジーのセミナーなので、セッションに際する心構えとしての言葉です。どうしても、早く治りたい、変わりたい、早く治したい、というエゴが双方出てくることがありますが、そういうのに対しての言葉。

一度に全てを解決することは必ずしもいいことじゃない。歪みが出てきてしまう。すべて物事にはタイミングがある。

こんな言葉でした。完璧主義ですぐに解決したがる私には、だいじな言葉です。

自然を観察すればわかるの。

種をまいて明日に実がなるなんてありえない。ゆっくり、太陽や土、水、風の力を借りながら、実になっていく。

秋に色づく柿の実が、夏に青く小さく成っているのを見るのが好き。ゆっくり、ゆっくりね❤

2019/10/15

7年越しに気づく

ちょっと面白いことに気づいた。

キネシの友達に、もう7年も前から時折言われていたこと。
「わざわざ困難を選ぶ」って。

でも、ぜんぜんピンとこなくてね、最近まで。

それがやっと意味がわかった。

よく、修行好きとかいうけどそういうことじゃなく、ピンときたのは「あの体験=この困難」で、具体的なできごとがあったからそれを乗り越えたいとずっと思っていたんだな、とやっと理解した。



脳は「学習する」んだよね。そして、自分的危機に際して「信号を増幅する」。

たとえば、恋愛で痛い目を見た→男性は信用できない→もう恋愛しない、など、いろんな観念を派生させていく。その増幅具合は多分、危機の度合いによる。

私の場合は、この出来事で生じた辛い気持ち(この危機度合が強かった)をなんとか克服したい→この困難を乗り越えたい→困難を選ぶ・困難を作る、ってことだろう。


旅の日程を組むのに、なぜか前後に予定のあるほうを選んだ。でも、選んだタイミングでは「絶対こっちっしょ!」って感じなの。で、いざ組み始めたら、調べても調べても全くうまく組めない。疲れてきた。もう寝よう……

そこまでいって急に「あ、これが困難を選ぶってこと?」ってハッとした。

何のためのそのチョイスか?ほんとにその困難を超える必要があるのか?
仲良くなるためにケンカが必要かといえば、別にそーじゃないのに、わざわざケンカを作りだすみたいな変な話(笑)

で、日程を変更してもらって組み始めた。
そしてまた思考の入れすぎ且つ困難を選ぼうとする!こわ!

きちんと問い直す。
私が一番楽しそう!と思えるのは?一番(移動や気持ち的に)ラクなのは??
だって、たかが旅の予定を組むのに困難は必要ない(笑)
そうしてチョイスを変えたらスッと次の「ちょうどいい」情報がやってくる❤うわー❤



わざわざ自分で自分を疲れさせていたんだね。
それじゃ、本当に必要なところに割く労力は残らない。
旅する前に疲れちゃいかんw