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2021/09/19

易経

すごい。気づけば半年あいていました。

今日、こやまとしのりさんのはじめての易経を受講してきました。

ずいぶん前から、ああこの先生は相性がよさそうだ、という予感はあり。その後、知人友人が受けているのを見ていて。初めて受けたのは一昨年だったかな、「はじめての老荘思想」。

本日。易とはなんぞ?も感じるものがたくさんあってよかった。特に、乾為天を諳んじているのを見ながら、溢れそうになる涙を止めてたくらい。

そう、なぜか、易経には足を踏み入れまい、とかたくなになっている私。でも、強く惹かれているということだね。

強い拒否は強い引力があるからこそ。陰陽うそつけない(笑)

ならばいっそ飛び込んでみようか?!

ああいやだいやだ(抵抗笑)

 

そうそう!

以前から「八卦」にとことんフォーカスしてぐるりと一周学びたいと思っていてね。やってもらえませんか?と言えばよかったのだけど、なぜかお伝えしておらず。

今日、終わったら、お願いしてきました。

もし開催されるものならば、然るべきときに然るべく、、、楽しみです❤

こやまとしのりさん ブログ



2020/10/11

五行、金、秋🍎

青森で、めちゃめちゃ秋の豊かさを感じた話!

apples

 

とにかくもうりんごの木の量がすごかった!見渡す限りのりんご畑。りんごの加工工場や、加工待ちの、おおきな台車にわんさか詰められたりんごの量。あと、キラキラひかる黄金色の稲穂がずっと拡がる景色!それからトンボが大丈夫か?!ってくらいにいた。

ぜんぶが今住んでいるところでは味わえない景色で、「実りの秋」という言葉どおり、ものすごい豊かさと秋のエネルギーを全身で感じた!と同時に、五行の「金」のエネルギーがちょっとわかった気がした。

私は、四柱推命のある流派で見ると、生まれに「木火土金水」の「金」だけ持っていないらしい。
そのせいか、以前、木火土金水のエネルギーってどんなん?って1個ずつ深く感じてみたときには「金」だけイマイチ掴めず、「金」以外なら「わかる」という感覚があるのになぁ…って残念な気持ちになり、そのとき同時に「金」のエネルギーも深く知りたい!という望みを放っておいた。

そして、忘れたころに青森で、象徴的な光景を見たのだ。

ぽかんと温泉に浸かっているとき、その温泉にはたくさんの林檎がなん十個も浮いて、お湯の流れで自然と林檎がぐるぐる回っていたのだけれども、

はじめはただの林檎だと思っていたのに、あ~今こんなにたくさんの豊かさに囲まれている!と不意に涙がこみあげてきた。果実やお米は、時間をかけて育ててきたものの結晶、目に見える形でやってくる結果であり豊穣。。。

その感動をひとしきり味わったあと、あらためて、豊かさって見つけようと思えばいくらでも、どこででも見つけられる、と思って嬉しくなった。

それから、建物ばかりの中で自然を感じないで生きているひとたちも、溢れんばかりの秋の豊かさを感じられる機会があるといいなあ、とも。

五行の「金」=豊かさ、というそれだけの意味ではなくもっとたくさんの意味を持つのだけれども、ともかく、一歩進めた感じがとても嬉しかったよ♪ 


2019/10/27

芋掘りから宇宙が見える❤

さつま芋掘りに行って、こんなことを思った。

その対象をよく観察すること。
その対象の自然な状態に抗わないこと。
それが一番早くうまくいく。

世の中にいろんなハウツーはあるけど、何冊本を読んだりセミナーに出るよりも、自然観察から学べることは本当に本当に多いと感じます。

自然な状態に抗うって、大体なんでもキツイよね。



さつま芋は、土の中に隠れています。それを軍手で掘って探します。

どこにどんな大きさの芋があるか、わからないから、掘っていくとだんだん感覚優位になります。

この子は大きいな~。あれ、意外と小さかった!掘って姿が見えて初めてわかる。

いくつか品種があるみたいで、30cm以上のなが~い子もいました。変な形の子もたくさん。スーパーに出ているのはある程度形が揃っている、あれはハネてるからだね、って、忘れていたことを思い出す。

あ、見えたと思って早々に取りだそうとすると折れる(笑)

しばらくすると、こちらの方向にはえてるのだからこう抜こう、とか、今はまだ抜くのは早いな、もう少し掘ってから、とか、力の入れる方向やタイミングを見極めて、折れずに、それどころか力をほとんど入れなくても抜けるようになるわけです。

なるほど。

ちゃんと状態を観察して、
ちゃんとタイミングがあって、
不自然なベクトルにパワーをかけなければ、自然の方向にうまくサポートする力を働かせれば、
びっくりするくらいに自然に、スッとうまくいく。必要以上の「りきみ」はいらないのだ。



ひさしく名刺を持っていませんでした。
最近は知り合うとSNSだし、なくても困らなかった。

でも、急に作りたいって思ってね。
仕事するんだから名刺必須とか、そういうんじゃなく、ごく自然に。

で、どうせ作るなら「とりあえず」じゃなく「これがいい」っていうのを作りたいと思ったら、ちょっとこの人に見てもらってから印刷出したいな、ってセッションをお願いして、ごく自然に。

ほんとうに思いがけず、とてもいいものができた。自然のタイミングってすごい、って感動した。



こんなとき、ほんま先生の言葉を思い出します。

キネシオロジーのセミナーなので、セッションに際する心構えとしての言葉です。どうしても、早く治りたい、変わりたい、早く治したい、というエゴが双方出てくることがありますが、そういうのに対しての言葉。

一度に全てを解決することは必ずしもいいことじゃない。歪みが出てきてしまう。すべて物事にはタイミングがある。

こんな言葉でした。完璧主義ですぐに解決したがる私には、だいじな言葉です。

自然を観察すればわかるの。

種をまいて明日に実がなるなんてありえない。ゆっくり、太陽や土、水、風の力を借りながら、実になっていく。

秋に色づく柿の実が、夏に青く小さく成っているのを見るのが好き。ゆっくり、ゆっくりね❤

2019/09/13

問わず語り -最後に勤めた会社はシステム屋だった-

最後に勤めた会社はシステム屋だった。

私がいたのは、ユーザ寄りポジションだったので、システムを創るほうにどっぷり100%ではなかったけども。

ユーザ寄りポジションにいたから、ユーザの立場とシステム屋の立場がイヤってほど違うのを知ったし、

経理システムやお金の管理にも関わったから、会社にとってのお金の流れがなんとなくこんなもんなんか、って感じられたし

システム屋っぽくシステム的に仕事を管理するっていう思考も教わったし

でもヘルプデスクだったからユーザによって対応を変えるって自然にやってたし

マクロ組んだりDB作ったりが一番おもしろかったかも、htmlやcssもそうだけど、書いたことがそのまま反映されるのがプログラム。うまく動かなければ自分が書いたどこかが間違っている。もっと楽に効率よくやるには?ボタン一発で数時間の作業が一瞬で終わる、楽しかった!

論理的に話せば通じる無愛想な人、論理的に話すとかわされる感情的な人、、、

でも、一番は、クソがつくほど(いやついてたw)未熟だった私を受け入れてくれていたことに本当に感謝したい。

近場にあった会社が移転・合併などでどんどん遠くなっていき、私は途中で辞めたけど、思いがけずキネシオロジーの練習会会場のカフェと全く同じビルが最終移転先だったので、一度お会いしにいったこともあった。

何で今こんなこと思い出してるのかな~。

その会社にいるときに薬膳・中医学の勉強を始めて、そのあとキネシオロジーを知って、会社を辞めてから「人の身体の仕組み」に夢中になってるわけだけど

システマチックに見える身体が全くそうではない、というのが何よりの魅力なのかも。

正確に言えば「その人がこれまで培ってきた経験や価値観がその人なりの論理となって身体を創っている」。経験や価値観は唯一無二なので、治療法もある程度の道筋はたつにしても細部は唯一無二ということになる。

東洋医学には「同病異治、異病同治」という言葉がある。同じ病でも原因が異なれば治療法も異なる。異なる病でも原因が同じなら同じ治療法になる、という意味だ。

頭痛だから頭痛薬で治る、とかそんな単純な世界ではない。万人に通用する論理はない。

それがもう興味深くてしょうがない。

ある身体的・心理的な痛みや悩みに対して、長いものなら「いつからですか」と聞くと、その回答からその方の人生が広がっていく。ひととき、人生を聞かせていただけるのは、不謹慎かもしれないけども、とてつもないロマンだ。そうして話しながらご本人も「そういえばこんなことがありましたね。。。」と感慨深そうに仰る、それだけで感動もひとしお。(仕事としてはここからなんだけど。笑)

そんな話を聴いたあと、0か1か世界のシステム屋にいたことをなんだかしみじみと思い出したのだ。

0か1かの世界にいたことが、いま役に立ってることけっこうあるなあ、って。



0101のシステムを動かしてるのも不完全で揺れのある人間。生き血はかしましい、のだ。

2019/08/17

今日の羽化観察

雨上がりの晴れ、はセミが羽化しやすい条件の一つだ。ただし、風が強くない日、という条件も必要。

台風あけの今日、晴れてはいたが風が強い。まさかこんな日に羽化する子は…と思っていたら、なんと、羽化準備中の子がいる。え、今日かよ…。
自然の流れに首を突っ込むのも気が引けてそのまま帰宅したけど、1時間半後に見に行ったらいない…。周りを探すと、足元に羽化中に落ちてしまったその子が。

以前、羽化前に落下して結局羽化できなかった子がいてね、今日の子はもう背中が割れはじめていたから、とっさに「死んじゃう?!」と思って、風の強い木に戻す気にはなれず、連れて帰ってきてしまった。うちの網戸のほうがまだ風当たりがマシなはず。

連れて帰ったときには、ちょっと弱っていて、もしかしたらもうこのまま動けずに死んじゃうかなと思っていたけど、網戸につかまらせたら羽化しようとしているのがわかる。見えている身体がまた命を帯び始めた。ただし、弱っているから、羽化のために踏ん張る力がなくて落ちてしまう、でも、何度落ちてもまたつかまるたびに羽化しようとする。

蝉の観察はただの好奇心だけども、同時に思わぬ感情解放になっている。
今日も「このまま死んでしまうのかな??」という悲しみや予感、受け入れがたさ、少しの混乱を感じているうちに、去年父が急逝したときの感情と同じだと気づいた。まだ残っていたんだ、と見てみぬふりせず一度キャッチして消化する。もうすぐ一周忌。いいタイミングだ。

何度も落下する蝉を見ながら、最初から連れてくればよかったのか、とか、連れてくる=余計なことをしているのか、などの迷いがあったが、また謎の声が「そういう人間の行う"いらんことかもしらんこと"も含めて全部がperfectなんだよ」と。

途中から、心配して張り付いてみるよりも、信頼して放っておこう、と切り替わった。そう、心配より信頼。
見続けるにはどうしてもライトがないと暗い。でも、羽化しかかりはどうかわからないけど、少なくとも羽化前の子はとても光や動きに敏感だから。ライトをつけて見守るよりも、この子が羽化しやすい環境を最大限作ってあげて、あとは信頼。さっき行ったら案の定離れている間に落ちていたけど、生命力そのものはまだあって、ずっと張り付いてたときよりもいい状態だった。

とにかく信頼、信頼、信頼。そのうえで羽化できなければもう仕方がない。

とりあえず、次に蝉が落下したら、もう網戸には戻さずに、足を引っかけやすい布の上においてあげようかなと思う。



夜が明けて。

結局、羽化できずにそのまま亡くなりました。

羽化はかんたんに言えば殻から出てくるだけですが、何度も眺めていて思うのは、それはまるで出産のよう。震えながら、ふんばって、ゆっくり出てきます。ゆっくり出てきたあとも、足はまだもろく柔らかいので、動かして身体を支えられるようになるまでまたじっと静止して、ようやく向きを変えて羽を伸ばすプロセスにはいるの。

そのどこかでアクシデントがあれば、残念だけど亡くなってしまう。

あらためて、生きているってすごいことなんだなと思います。