2019/09/13

問わず語り -最後に勤めた会社はシステム屋だった-

最後に勤めた会社はシステム屋だった。

私がいたのは、ユーザ寄りポジションだったので、システムを創るほうにどっぷり100%ではなかったけども。

ユーザ寄りポジションにいたから、ユーザの立場とシステム屋の立場がイヤってほど違うのを知ったし、

経理システムやお金の管理にも関わったから、会社にとってのお金の流れがなんとなくこんなもんなんか、って感じられたし

システム屋っぽくシステム的に仕事を管理するっていう思考も教わったし

でもヘルプデスクだったからユーザによって対応を変えるって自然にやってたし

マクロ組んだりDB作ったりが一番おもしろかったかも、htmlやcssもそうだけど、書いたことがそのまま反映されるのがプログラム。うまく動かなければ自分が書いたどこかが間違っている。もっと楽に効率よくやるには?ボタン一発で数時間の作業が一瞬で終わる、楽しかった!

論理的に話せば通じる無愛想な人、論理的に話すとかわされる感情的な人、、、

でも、一番は、クソがつくほど(いやついてたw)未熟だった私を受け入れてくれていたことに本当に感謝したい。

近場にあった会社が移転・合併などでどんどん遠くなっていき、私は途中で辞めたけど、思いがけずキネシオロジーの練習会会場のカフェと全く同じビルが最終移転先だったので、一度お会いしにいったこともあった。

何で今こんなこと思い出してるのかな~。

その会社にいるときに薬膳・中医学の勉強を始めて、そのあとキネシオロジーを知って、会社を辞めてから「人の身体の仕組み」に夢中になってるわけだけど

システマチックに見える身体が全くそうではない、というのが何よりの魅力なのかも。

正確に言えば「その人がこれまで培ってきた経験や価値観がその人なりの論理となって身体を創っている」。経験や価値観は唯一無二なので、治療法もある程度の道筋はたつにしても細部は唯一無二ということになる。

東洋医学には「同病異治、異病同治」という言葉がある。同じ病でも原因が異なれば治療法も異なる。異なる病でも原因が同じなら同じ治療法になる、という意味だ。

頭痛だから頭痛薬で治る、とかそんな単純な世界ではない。万人に通用する論理はない。

それがもう興味深くてしょうがない。

ある身体的・心理的な痛みや悩みに対して、長いものなら「いつからですか」と聞くと、その回答からその方の人生が広がっていく。ひととき、人生を聞かせていただけるのは、不謹慎かもしれないけども、とてつもないロマンだ。そうして話しながらご本人も「そういえばこんなことがありましたね。。。」と感慨深そうに仰る、それだけで感動もひとしお。(仕事としてはここからなんだけど。笑)

そんな話を聴いたあと、0か1か世界のシステム屋にいたことをなんだかしみじみと思い出したのだ。

0か1かの世界にいたことが、いま役に立ってることけっこうあるなあ、って。



0101のシステムを動かしてるのも不完全で揺れのある人間。生き血はかしましい、のだ。

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