雨上がりの晴れ、はセミが羽化しやすい条件の一つだ。ただし、風が強くない日、という条件も必要。
台風あけの今日、晴れてはいたが風が強い。まさかこんな日に羽化する子は…と思っていたら、なんと、羽化準備中の子がいる。え、今日かよ…。
自然の流れに首を突っ込むのも気が引けてそのまま帰宅したけど、1時間半後に見に行ったらいない…。周りを探すと、足元に羽化中に落ちてしまったその子が。
以前、羽化前に落下して結局羽化できなかった子がいてね、今日の子はもう背中が割れはじめていたから、とっさに「死んじゃう?!」と思って、風の強い木に戻す気にはなれず、連れて帰ってきてしまった。うちの網戸のほうがまだ風当たりがマシなはず。
連れて帰ったときには、ちょっと弱っていて、もしかしたらもうこのまま動けずに死んじゃうかなと思っていたけど、網戸につかまらせたら羽化しようとしているのがわかる。見えている身体がまた命を帯び始めた。ただし、弱っているから、羽化のために踏ん張る力がなくて落ちてしまう、でも、何度落ちてもまたつかまるたびに羽化しようとする。
蝉の観察はただの好奇心だけども、同時に思わぬ感情解放になっている。
今日も「このまま死んでしまうのかな??」という悲しみや予感、受け入れがたさ、少しの混乱を感じているうちに、去年父が急逝したときの感情と同じだと気づいた。まだ残っていたんだ、と見てみぬふりせず一度キャッチして消化する。もうすぐ一周忌。いいタイミングだ。
何度も落下する蝉を見ながら、最初から連れてくればよかったのか、とか、連れてくる=余計なことをしているのか、などの迷いがあったが、また謎の声が「そういう人間の行う"いらんことかもしらんこと"も含めて全部がperfectなんだよ」と。
途中から、心配して張り付いてみるよりも、信頼して放っておこう、と切り替わった。そう、心配より信頼。
見続けるにはどうしてもライトがないと暗い。でも、羽化しかかりはどうかわからないけど、少なくとも羽化前の子はとても光や動きに敏感だから。ライトをつけて見守るよりも、この子が羽化しやすい環境を最大限作ってあげて、あとは信頼。さっき行ったら案の定離れている間に落ちていたけど、生命力そのものはまだあって、ずっと張り付いてたときよりもいい状態だった。
とにかく信頼、信頼、信頼。そのうえで羽化できなければもう仕方がない。
とりあえず、次に蝉が落下したら、もう網戸には戻さずに、足を引っかけやすい布の上においてあげようかなと思う。
*
夜が明けて。
結局、羽化できずにそのまま亡くなりました。
羽化はかんたんに言えば殻から出てくるだけですが、何度も眺めていて思うのは、それはまるで出産のよう。震えながら、ふんばって、ゆっくり出てきます。ゆっくり出てきたあとも、足はまだもろく柔らかいので、動かして身体を支えられるようになるまでまたじっと静止して、ようやく向きを変えて羽を伸ばすプロセスにはいるの。
そのどこかでアクシデントがあれば、残念だけど亡くなってしまう。
あらためて、生きているってすごいことなんだなと思います。
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