ちょっと面白いことに気づいた。
キネシの友達に、もう7年も前から時折言われていたこと。
「わざわざ困難を選ぶ」って。
でも、ぜんぜんピンとこなくてね、最近まで。
それがやっと意味がわかった。
よく、修行好きとかいうけどそういうことじゃなく、ピンときたのは「あの体験=この困難」で、具体的なできごとがあったからそれを乗り越えたいとずっと思っていたんだな、とやっと理解した。
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脳は「学習する」んだよね。そして、自分的危機に際して「信号を増幅する」。
たとえば、恋愛で痛い目を見た→男性は信用できない→もう恋愛しない、など、いろんな観念を派生させていく。その増幅具合は多分、危機の度合いによる。
私の場合は、この出来事で生じた辛い気持ち(この危機度合が強かった)をなんとか克服したい→この困難を乗り越えたい→困難を選ぶ・困難を作る、ってことだろう。
旅の日程を組むのに、なぜか前後に予定のあるほうを選んだ。でも、選んだタイミングでは「絶対こっちっしょ!」って感じなの。で、いざ組み始めたら、調べても調べても全くうまく組めない。疲れてきた。もう寝よう……
そこまでいって急に「あ、これが困難を選ぶってこと?」ってハッとした。
何のためのそのチョイスか?ほんとにその困難を超える必要があるのか?
仲良くなるためにケンカが必要かといえば、別にそーじゃないのに、わざわざケンカを作りだすみたいな変な話(笑)
で、日程を変更してもらって組み始めた。
そしてまた思考の入れすぎ且つ困難を選ぼうとする!こわ!
きちんと問い直す。
私が一番楽しそう!と思えるのは?一番(移動や気持ち的に)ラクなのは??
だって、たかが旅の予定を組むのに困難は必要ない(笑)
そうしてチョイスを変えたらスッと次の「ちょうどいい」情報がやってくる❤うわー❤
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わざわざ自分で自分を疲れさせていたんだね。
それじゃ、本当に必要なところに割く労力は残らない。
旅する前に疲れちゃいかんw
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