さいきん時々思い出す。
キネシオロジー五行メタファー本「水」の項目にある、「老い、死、再統合からなにを連想しますか」というフレーズ。
おわりとはじまりはいつも同時に起きている。だから、一瞬一瞬わたしたちは今を選び続けてここにいて、選ぶものを変えることもできる、選ぶものを変えれば、、、ということになるのだけれども、
人の脳や記憶はたぶんちょっと複雑で、時間という連続性のなかに生きている感覚であったり、選択に紐づいているもろもろがちょっと重かったり、大概は自分以外のなにかと共鳴しているし、それが過去や過去生の場合もあるから、
かんたんではないよね。
うん、かんたんではない。でも難しくもない。 ←さいきんお気にのフレーズ(笑)
時間という連続性のなかに生きている恩恵もある。
左脳があるから言葉を話せる。
すべて、あるべくしてあっていて、そこに良い悪いはない。そして本当はただあるだけで、あるべくもナニベクもない。
あるものと自分が共鳴してなにかの感覚が生じる。またあるものと自分が共鳴して何かの感覚が生じる。それはときに不快なものかもしれない。それもまた一つの結果。
わたしたちは、現象という結果を見ながら生きている。
結果のもっとまえに、手前に、ずっとずっと前に、発露しているものがあり、そのもっとずっと奥には、限りなく湧いて溢れるいのちの大きなおおきな泉がある。
参考 『タッチフォーヘルスハンドブック五行メタファー』(amazon)