2019/08/02

ADHD・HSP傾向。ADHD系さんに送る魔法の言葉。

私にはADHD傾向とHSP傾向がある。
診断・治療の経験からではないが明らかに当てはまりその傾向がある。

HSP。
感覚的感情的に敏感すぎて、たぶんある時期スイッチをOFFにして鈍感に生きていた、のがキネシオロジーをしながらこの7、8年でその感覚の鋭敏さに気づいた、思い出した、戻ってきている、よりよい使い方ができ始めている。

以前から、特に感情に鈍感な人の感情を肩代わりするかのように私が泣いたり怒ったりするのはよくあったことだけども、それが自分の敏感さからくるものということがようやくわかってきた。

そうだなあ、、、境界線と分離かな。境界線を意識することは本当にだいじ。あと、特に感情と一体化しやすかったり、特に私は一部にフォーカスして“全体”にしやすいので、その感情を自分そのものと思わないこと(悲しい、悲しい、とどっぷりと一体化しないで、感情を感じる+私は悲しいと感じている、というフレーズを持つ=俯瞰することが有効)と、あとは人の感情をもらってることがあるのでそのことを忘れない。全て自分の感情だと思ったりその感情とどっぷり一体化するといらぬ泥沼に自らハマることになる。
なんなら、「あーそう思ってるね」くらいの他人事的扱いがいいのかも。

ADHD傾向は、いやまあ参っていた、手を焼いていた。他の発達障害系もそうだけど、なぜみんなが出来ていることができない??というところにもなるので、よくよく自分を責めた。多動はあるかわからないが、不注意、衝動はある。

時間の認識や計画的行動が苦手。
アバウトな時間管理しかできなくて、オンタイムの待ち合わせや講座など時間が決まっていて出席するものが苦手。自分一人で完結する突発的衝動的な行動はよくやる。対人はええかっこしいが出るので考える(笑)
適当な料理はできるけど、レシピ通りの料理や、15分で3品!みたいなのも苦手。

で、こないだADHD系さんに良いなと思う魔法の言葉をもらってずいぶん気がラクになっている。それは「今そうなんだ」ってフレーズ。

よーし今日から〇〇するぞ、っていう継続が壊滅的にできない、続かない、飽きる、忘れる。

幸か不幸か?物の本質を捉えるのは得意なので、ちょっとやったら、あ、これはこういうことなんだな、っていうのがなんとなくわかる。すると、もういいかな、って思う。
ちょっと前まではtryもできなかったからその時はいろいろに興味が飛ぶ(注意散漫)自分、そしてtryできるようになってからも飽きる自分にほとほと嫌気がさしていた。

でもここで「今そうなんだ」ですよ!すると、今まで→「よし今日はこうしよう」→できない→自分を責める、的なループがあったのが「よし今日はこうしよう、と今はそう思っている(5分先のことはわからない)」というひっじょーーーに軽やかでなんの自責も起こさないパターンが出来つつある。

計画通りにできないことが問題なんじゃなくて、できない自分を責めることが一番の害悪。責めて何が解決するか?NO。(だから私は「〇〇反対」系の主張はあまり好きではない。)

そしてね。意識があっちゃこっちゃ散って一つのことが続かない代わりに、興味の対象は広かったり好奇心があったり、また、本質を掴めることも加味して「自分をととのえる」ための、キネシオロジー以外の手段もたくさん知ったしやってみた。それはもしかしてADHD傾向があったからこその宝なんじゃないのか、って急に思えて、なんかすごいホッとした。

ブログも、思いついたときに突発的にしか書けない。毎日コツコツ憧れる。でもムーリー。

これも「ムーリー」は一生無理なんじゃなくて「今はムーリー」なだけ。

だって、何十年も私には絶対できないと思っていた「毎日散歩」がここ5日続いている。なぜか夜中に1時間。このクッソ暑いのに。しかもひっじょーーーに爽快である。明日にはもうやんないかもしれないけどwwwそれでもいいの。半断食も、肉食も、ファストフード食も、引きこもりも、運動も、やりたいときにやれればいい。やりたいときにやれないのが一番悲しい。

で、何の話だっけ?これもADHD傾向かね(笑)

まあ、だからしょうがないでしょとか治らないからということでもなく、実際キネシをしてきてだいぶマシになっているし、やっぱり、持っているものは持っているものとしてその使いようだし改善する部分もあるから気楽にいこうぜってことかな。

週末の講座…時間…やっぱり緊張するなあ(笑)

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