先日思い立って受けたチネイザン。
チネイザンは「氣内臓」って書く、まあわかりやすく言えばおなかのマッサージ。
でも、ただのマッサージじゃなくて、術者の在り方とかめっちゃ大事やし、「氣」ってつくくらいなのでおなかっていう実際的な器官にアプローチしているけどめっちゃエネルギーワークだったり感情解放ワークやな、って思った。(合ってるかどうかは知らんけど。)
…なんで関西弁?まあいいか、このままいこう。
思い立って受けたわりに、前日とかキャンセルしたくなる謎の抵抗が発生。
もうありがたく委ねて受けてくるか、と決める。
結果、めちゃくちゃよかったよ。
久しぶりに、安心安全な場で話す、ということをした気がする。キネシや友人との場がそうじゃないってことではなく、自分がクライアントとして委ねていいんだ、というセッションの場が久しぶりだった。
あとは、とりとめもなく話が出てきて、ゆっくりとそれを聞いていただいて、でもそのなかで意外と大事なところにたどり着いたり。これがほんとに良くて。
マッサージの時間は、痛みの解放があったので気持ち良いだけじゃなかったけど、でも、痛いながらもリリースしていただいてるありがたさ、痛みや感覚から目を背けるのではなくそこに飛び込むという体感、それから気持ちよくて寝たり起きたり、そうかと思えばうっとなにかが上がってきて涙が出ることも一度や二度ではなかった。
終わったあとの、すごい「身体にいる」「グラウンディングしている」感!ああ、気分がいい。
ありがたい時間だった。。。。
一番大きな気づきとしては、
ある流れをせき止めたい意識があったのだけども、それに関して、そしてそこに限らず、「調和に向かうプロセスのなかで浮上してきているのだから、アンバランス/ネガティブに思えることであっても、それがパーフェクト(だから安心して身を任せよう、文字通り身体に浮かんでくるものに委ねよう)」という感覚がめっちゃ湧き上がってきたの。
流れに身を任せる、ね、これって、、、ポジティブに見えることならいいのよ。でも、自分が知らず持っている価値観や常識、世間体などに反するものに関してはどう?仲間が全員YESのときでも、自分がNOならNOを信じられるかしら?ということにつながってくるんだよね。だから、簡単なようで難しい。
そうして、思いがけず…帰宅して弾いたピアノの音が変わっていた!体感も!
5月から初めて、5月末には楽譜通り弾けるようになったものの音が固く、今度はタッチの練習を始めてだいぶ音がやわらかくなっていたけど、どうもね、右半身が緊張していたの。ペダルを踏む足まで。どうにかならんもんかなあと思っても緊張をほぐすのはなかなか難しくて。
それが。
右半身のやわらかさ、なめらかさが全く違う~。うれしい!!その体感は数日たった今も健在。
もう少し左と右をうまいこと最適化したいな~。欲が出るね(笑)
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>> チネイザン 土屋しずかさん
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