2019/08/31

施術に「身を委ねる」こと

今日、友人の施術を受けたのでした。

施術に身を委ねる。こりゃ思った以上に"深い"のだ。

信頼できる術者に身を委ねる。
それから、セッションによって出てくる身体感覚(やそれに伴う感情)に、分析やジャッジを行わずにそのままにする。こちらのほうが難しい。

とはいえ先日からそればかり。
自分の「今」が他から到底受け入れられないだろうそんなとき、それでも起きていることを信頼できるか、というポイント。起きていることや湧き上がってくるものに体(てい)のいい思考や知識で「こういうもんだから」とフタをする癖。

せっかく受けている施術の前半はフタをする連続だった。

ようやく、いやいやそうじゃあないだろう、と気づく。つい先日もチネイザンで身を委ねることの大切さに気付いたばかりじゃないか!
湧きおこる波に身を委ねて受け入れる。受け入れがたいことも。今やらなきゃいつやる、くらいの気概を持たないと受け入れられなかった。

そしたらねー。
深いところから湧き上がる思いとともに、涙がつーっと、ひとすじ、ふたすじ。

あ~辛かったんだ。苦しかったのね。

この感情を消化したかったのか。それから、こんなにも強く「思ってはいけない、願ってはいけない、感じてはいけない」と信じ込んでいた。そりゃあ、感じていることにフタもするわ。そして、あのとき起きたことを到底受け入れられなかったのだ。感情もできごとも直視できなかったし、でもどうにか納得したくて、そうして自分が納得いく道筋がほしかったのだな(だから思考や知識が瞬殺で湧き上がるものを消していた)。

わかったことがたくさんあった。フタを開けなければわからなかった。

そう、いつでも、現実に起きているできごとは単なるトリガーにすぎない。できごとに浅はかな思考でカタをつけたつもりになることなど、何の意味もなかった。また忘れていた。今日、ここにたどり着けてよかった。



自分が術者の立場のとき。いらん知識や解説をぶっこむことがあったと思う。マジ暴力。ふだんの会話があぶない。ちょっと気を許すとすぐやりそうになるし、今でもやってることある。あーイタイ。

相手がまずそれを聞きたいという意思があるのかどうか。
相手が聴いて理解できるタイミングなのか。

適切なタイミングで適切なことを伝えるのは難しい。やればやるほど、そう思う。
考えればいいってもんじゃないし、考えなしもまたマズイ。

こないだの心理ワークでも「言葉はかんたんに人を殺せる」とあらためて痛感したのだ。

人の心も記憶も全く理路整然とはしていない。至極ふんわりぼんやりとした曖昧なもの。だから、丁寧に、丁寧に。

2019/08/30

セルフ調整記録:無意識下の嫌悪感、不安、警戒心…などが芋づる式に!

久しぶりにガッツリセルフ調整記録~~!

私は今、関わりたい人と関わり、行きたいところに行き、寝たいときは寝る生活ですよ。そうすると、安全地帯というか、あんまりストレスもないんよね、以前に比べて。

でも…な~~~~んか、感じてはいた。たまに「ちらっ」と顔を出すアイツ。今のところどうやって引っ込めてるか、あるいは気にしないようにしているのかはわからない。でも…確実にいる「アイツ」。何度か同じ反応をすることがあるのを、私は知っていた…。

ということで、セルフ!調整!やるぜ!

こういうね、ぼんやりと「なんかあるな…」ってアヤツのしっぽを掴みたいときは、チャートが便利。

筋反射で「臓器・感情チャート」から選ばれたのは「リンパ:混乱」そう、混乱してるんだよね、時折。

さてなにを使って調整しようか。先日、カナダに帰国するMasakoさんと成田で10分デートを果たしたこともあり、Masakoさんのカードで調整を始める。

Masakoさんのカードは15枚。経絡・チャクラに対応していて、カードを見ていくだけで気づきや解放が起きるの。

今回、パパっと調整を終わらせずにカードを眺めてみてよかった。

「混乱ね~あるね~」なんて呑気に始めたのに、カードを1巡見るうちに、みるみる不快な感情とともに謎の「飲み込まれる感」が浮上。そのまま、2巡目、3巡目を見ていく。2巡目で一度落ち着いたのに3巡目では今度は「ある人に対する強い嫌悪、安心してここにいられない感、警戒心」が出てくる。

そこでやっと気づく。うん、確かに私そういう反応するときある。そして子どものころはもっとその傾向が顕著だったことを思い出した。

いったんアロマを嗅ぐ。五徳"義"。そうしてまたカード4巡目を見る。フリーズしていて、視界にはいるけど目に入ってこない状態。唯一肺経のカードだけが身体がちくっと痛む。

あら、思ったより深いのかな、これ(笑)

そういえばね。「臓器・感情チャート」は文字だけのチャートもあるんだけど、わざわざ身体図のほうを筋反射は選んだのね。そうして特定した「リンパ」はいつも詰まる感じのある場所でした。文字だけのチャートじゃ気づけなかった。やるな筋反射。

アロマ五徳"仁"を嗅いで、カード5巡目。全体的に孤独と寂しさを感じる。肝経で、闇に飲み込まれ、あざ笑われている感覚。肺経はまだ少しフリーズ気味。

ここで、タッチフォーヘルス五行メタファーの登場。筋反射は"烏口腕筋"を選びました。肺経です。いくつかある中で「声が出なくなることがありませんでしたか」で苦い思い出がよみがえります。直後、猛烈にノドが痒くなりました。

カード6巡目。まだフリーズと混乱感。途中で言葉にしてみます。「私は混乱している自分を受け入れます。」少し、絵に空気と動きが出始めました。深呼吸が自然と何度か出ます。

カード7巡目。自然と身体を動かしたくなってきています。氷が溶けて止まっていた鼓動がスタートする感じ。でも、あるカードで「私には関係ない」という他人事のような思いが一瞬よぎったのを捕まえて(笑)何に違和感があるのかを見ます。すると「私には平穏はない(関係ない、ありえない)」という思いが。oh…なんてこった。そのカードは心包経。oh…。タッチフォーヘルス五行メタファー"心包経"を読んでみます。中臀筋から一通り。そうしてまたカードに戻ります。「私にも平穏があるといいな」という感覚に変化しています。あざ笑われるように感じた肝経も、不快感はかなり減っている。



このへんで今日は終わり。

思ったより深いところまでいったけど、やってよかった。

実際これ、どのくらい時間かけてやってるかというと、途中で洗濯物たたんだりインターバルはさんでるので根詰めてやってるわけじゃなく、そして、1時間くらいかなあ。



今日の心理ワークで、改めて調整について考えた。

私は「〇〇じゃないと(←条件)できない」っていうのが好きじゃない。だから、キネシを始めてもうすぐ8年か、本当にいろ~~んなやり方を考えたり試したりずっとそうしてきたの。
歩いてるとき、電車乗ってるとき、ツールが手元にないとき、知識がないとき、どうする?いろんなやり方があった。

で、結論、もう、身体一つあればなんの道具もいらないの、ほんとは。身体が最高のツールであり味方。

そうなんだけど、いろんなツールもさ、それはそれで特徴があって、バラエティというか、楽しいんだよね(笑)
そいで、身体一つあればいい、に至るまでにツールが必要な場合もあるし、その人なりの段階とかタイミング、とっつきやすさ=相性もあって、だから世の中にはいろんなツールがあふれてるんだろうなぁって思う。ほいだから、手段と目的をごっちゃにしかねないってこともあるけどね(笑)

混乱。beforeが10→今は3くらいかな。なにかのトリガーでまたブワッと出るかもなので、近々続きをやらないとね♪

2019/08/26

チネイザンを受けたら(身体が変わったから)ピアノの音が変わった

先日思い立って受けたチネイザン

チネイザンは「氣内臓」って書く、まあわかりやすく言えばおなかのマッサージ。
でも、ただのマッサージじゃなくて、術者の在り方とかめっちゃ大事やし、「氣」ってつくくらいなのでおなかっていう実際的な器官にアプローチしているけどめっちゃエネルギーワークだったり感情解放ワークやな、って思った。(合ってるかどうかは知らんけど。)

…なんで関西弁?まあいいか、このままいこう。

思い立って受けたわりに、前日とかキャンセルしたくなる謎の抵抗が発生。
もうありがたく委ねて受けてくるか、と決める。

結果、めちゃくちゃよかったよ。

久しぶりに、安心安全な場で話す、ということをした気がする。キネシや友人との場がそうじゃないってことではなく、自分がクライアントとして委ねていいんだ、というセッションの場が久しぶりだった。

あとは、とりとめもなく話が出てきて、ゆっくりとそれを聞いていただいて、でもそのなかで意外と大事なところにたどり着いたり。これがほんとに良くて。

マッサージの時間は、痛みの解放があったので気持ち良いだけじゃなかったけど、でも、痛いながらもリリースしていただいてるありがたさ、痛みや感覚から目を背けるのではなくそこに飛び込むという体感、それから気持ちよくて寝たり起きたり、そうかと思えばうっとなにかが上がってきて涙が出ることも一度や二度ではなかった。

終わったあとの、すごい「身体にいる」「グラウンディングしている」感!ああ、気分がいい。

ありがたい時間だった。。。。

一番大きな気づきとしては、
ある流れをせき止めたい意識があったのだけども、それに関して、そしてそこに限らず、「調和に向かうプロセスのなかで浮上してきているのだから、アンバランス/ネガティブに思えることであっても、それがパーフェクト(だから安心して身を任せよう、文字通り身体に浮かんでくるものに委ねよう)」という感覚がめっちゃ湧き上がってきたの。

流れに身を任せる、ね、これって、、、ポジティブに見えることならいいのよ。でも、自分が知らず持っている価値観や常識、世間体などに反するものに関してはどう?仲間が全員YESのときでも、自分がNOならNOを信じられるかしら?ということにつながってくるんだよね。だから、簡単なようで難しい。

そうして、思いがけず…帰宅して弾いたピアノの音が変わっていた!体感も!
5月から初めて、5月末には楽譜通り弾けるようになったものの音が固く、今度はタッチの練習を始めてだいぶ音がやわらかくなっていたけど、どうもね、右半身が緊張していたの。ペダルを踏む足まで。どうにかならんもんかなあと思っても緊張をほぐすのはなかなか難しくて。

それが。

右半身のやわらかさ、なめらかさが全く違う~。うれしい!!その体感は数日たった今も健在。

もう少し左と右をうまいこと最適化したいな~。欲が出るね(笑)



>> チネイザン 土屋しずかさん

2019/08/17

癒しフェア

お友達に誘ってもらって癒しフェアへ。

超グラウンディングができているお友達のおかげで、そうして自分のグラウンディング力もupしてきているおかげで、まる1日いても全然大丈夫だった。

初めて行った癒しフェア(本会場)の全体的な雰囲気としては、深く癒されるフェア、ではないですね、正直。
癒しに関するイベントやブースがスーパーマーケットのように所せましと盛りだくさん、でした。
スーパーマーケット、なのでいろいろあります。いいものも、相性が合うものも、合わないものも、おもしろいものも、もちろん興味を惹かれるものとそうでないものと。

もちろん個々で見ていけば良いブースもあると思いますが、私には少し情報過多かな。

一度見てみたかった癒しフェア、いろんな意味でおもしろかった。ブースが、というよりも、自分の心の中の動きが。

明日ももう一日、外側のものを見て、内側(思考、感情)がどう反応するか、楽しみ。

自分を見つめるいい機会でした。

そうして、フェスを楽しんでいる間に、2ヶ月前にオーダーしたものができあがったとご連絡が。うれしい!近日中にご対面してきます❤

今日の羽化観察

雨上がりの晴れ、はセミが羽化しやすい条件の一つだ。ただし、風が強くない日、という条件も必要。

台風あけの今日、晴れてはいたが風が強い。まさかこんな日に羽化する子は…と思っていたら、なんと、羽化準備中の子がいる。え、今日かよ…。
自然の流れに首を突っ込むのも気が引けてそのまま帰宅したけど、1時間半後に見に行ったらいない…。周りを探すと、足元に羽化中に落ちてしまったその子が。

以前、羽化前に落下して結局羽化できなかった子がいてね、今日の子はもう背中が割れはじめていたから、とっさに「死んじゃう?!」と思って、風の強い木に戻す気にはなれず、連れて帰ってきてしまった。うちの網戸のほうがまだ風当たりがマシなはず。

連れて帰ったときには、ちょっと弱っていて、もしかしたらもうこのまま動けずに死んじゃうかなと思っていたけど、網戸につかまらせたら羽化しようとしているのがわかる。見えている身体がまた命を帯び始めた。ただし、弱っているから、羽化のために踏ん張る力がなくて落ちてしまう、でも、何度落ちてもまたつかまるたびに羽化しようとする。

蝉の観察はただの好奇心だけども、同時に思わぬ感情解放になっている。
今日も「このまま死んでしまうのかな??」という悲しみや予感、受け入れがたさ、少しの混乱を感じているうちに、去年父が急逝したときの感情と同じだと気づいた。まだ残っていたんだ、と見てみぬふりせず一度キャッチして消化する。もうすぐ一周忌。いいタイミングだ。

何度も落下する蝉を見ながら、最初から連れてくればよかったのか、とか、連れてくる=余計なことをしているのか、などの迷いがあったが、また謎の声が「そういう人間の行う"いらんことかもしらんこと"も含めて全部がperfectなんだよ」と。

途中から、心配して張り付いてみるよりも、信頼して放っておこう、と切り替わった。そう、心配より信頼。
見続けるにはどうしてもライトがないと暗い。でも、羽化しかかりはどうかわからないけど、少なくとも羽化前の子はとても光や動きに敏感だから。ライトをつけて見守るよりも、この子が羽化しやすい環境を最大限作ってあげて、あとは信頼。さっき行ったら案の定離れている間に落ちていたけど、生命力そのものはまだあって、ずっと張り付いてたときよりもいい状態だった。

とにかく信頼、信頼、信頼。そのうえで羽化できなければもう仕方がない。

とりあえず、次に蝉が落下したら、もう網戸には戻さずに、足を引っかけやすい布の上においてあげようかなと思う。



夜が明けて。

結局、羽化できずにそのまま亡くなりました。

羽化はかんたんに言えば殻から出てくるだけですが、何度も眺めていて思うのは、それはまるで出産のよう。震えながら、ふんばって、ゆっくり出てきます。ゆっくり出てきたあとも、足はまだもろく柔らかいので、動かして身体を支えられるようになるまでまたじっと静止して、ようやく向きを変えて羽を伸ばすプロセスにはいるの。

そのどこかでアクシデントがあれば、残念だけど亡くなってしまう。

あらためて、生きているってすごいことなんだなと思います。

2019/08/07

あなたの感情、お元気ですか❤

先日のキネシ道場は「内臓と感情」。最初に感情と繋がるワークがあった。

・私は怒りを感じたい
・私は怒りを感じたくない

などでいくつかチェック項目があって、ストレスになっているものは調整してON=大丈夫、にするワークだった。

キネシによって「今までと変わった」と感じることって人それぞれだけど、私の場合は、一つは感情を思い出したこと。

もともと感情表現が豊かだったのに、いろいろな理由で抑えていたことがわかった。

キネシを知ってから、存分に怒ったり泣いたり笑ったり…感情とはもう仲良しのつもりだった。

が、たくさんの項目でストレス反応が出て、ビックリした。

そうして、それらを調整したあと、思いついて自分でフレーズを作ってみた。

・私は感情を感じたい
・私は感情を感じたくない

我ながらいいフレーズ作ったなと悦に入ったのもつかの間、やっぱりOFF=ストレス状態だったし、調整にはアロマが何本か必要だった、どんだけ(笑)

そうしたら、調整から2日経って今日、まだ全然ほんとの感情を見ていなかった(それはダメだ、と抑えていた)ことに気づいた。

まだまだ、どれだけ〇〇はダメだ、と思いこんで自分でストレスを作っているのかを思い知らされた。

自分で作ってる制限で不自由だと叫んでるの、滑稽だ(笑)

陰でも陽でもなくなんでもありの状態からコレ!を選びたい!

自由な心になるために、今日もキネシとともに❤

>> キネシオロジー東京森田先生のキネシ道場(東京早稲田、毎月第一日曜、1回完結型)

2019/08/06

トラウマ調整を軽やかに行う

トラウマによる傷はそのまま思い出してフォーカスして調整するにはしんどい。

昨日キネシ道場に出たことで、なんだかヒントが出揃った感があたので、さらっと調整してみた。

●ヒント1.チャクラの本「7つのチャクラ」
私たちの文化では、いたましい子供時代の記憶を癒すには、何年にもわたる心理療法が必要と信じられているが、必ずしもそうではない。信じることさえできれば、痛々しい記憶を速やかに癒し、その記憶が人生に及ぼしている影響力をなくすことも可能なのだ。
過度にトラウマを深刻視しなくてもよいし、長期にわたることもあればそうでないことがあってもいい。

できごとから学ぶということも確かに必要だけど、一つひとつの出来事を思い出すことさえしんどいのなら、というか、トラウマに関するようなことってスポッと記憶がなくなってることもあるし、真正面から山の頂上(解消)に向かわずとも別ルートがあっていい。もしそのトラウマから、というか、人生で学ぶ必要があることは、必ずどこかでもたらされるのだから。

●ヒント2.チャートで身体部位やエネルギーを特定して調整する
ちょうどここ3カ月間のキネシ道場で、知識として詳しく知らなくてもチャートから調整できる、というワークをしたこと。(脳、器官、エネルギーなど)

知らなくても調整できるっていうのはちょっと危なっかしく聞こえるかもしれないけど、まず、物理肉体に強い刺激を与えたり無理やり動かすわけではない。やってることとしては、既にある知識体系の叡智を借りる(名前を知るということは特定するということ)プラスその叡智にアクセスさせていただくことで、そこを調整するという意図ができるんだろうと思う(推測)。雑司ヶ谷がどこにあるか、大鳥神社がどんな神社か知らなくても「雑司ヶ谷・大鳥神社」というキーワードがあることでGoogleがその知識や目的地にたどり着けるのと同じことかな?

●ヒント3.トラウマの受けた時期によって脳のここが損傷するよ、という情報をたまたま発見。
前頭前野、海馬、扁桃体などそのあたりもチャートに加える。

●最後の一押しは、キネシ道場「内臓と感情」で、物理内臓に対応した反射ポイントと対応する感情のチャートをいただいたので単純にそれを使いたかった(笑)

あとは、淡々と臓器・感情チャートで特定して1個ずつ地道に調整すればOK。

のはずが、調整をはじめすぐにおかしな筋反射反応が出た。調整してOK→ON、そしてチャートで特定し始めると、途中で筋反射反応がブレてくる。ONになったりOFFになったりして特定ができなくなる。おかしいな?と思ったらスイッチングしているので調整して再開→またブレる→再開する、を繰り返すうち、ふと、身体のエネルギーがふっと横にずれる体感を捕まえた。チェックすると、案の定スイッチングが発生している。最初はアロマなどで調整していたが、そのうちズレたなと思ったら体感と体軸を意識で戻すようにしてみた。無理に戻すというよりは「ただ気づく」に近いかも。(念のため、スイッチング=身体のエネルギーがずれる、に限らないのでご注意を。)

意図がトラウマ調整なので身体が混乱したのかな。

当たり前だけど、ビックリするくらい身に覚えのある感情が出てくるのがウケる(笑)
そうして、カフェキネシ的に淡々と出てきたものをアロマで調整するだけなので、早いしラクだ!たとえば「前頭前野/謙虚、謙遜、卑下」「皮膚/調和にある」といった具合。

ちょうど、たまたまつけっぱのTVCMで、宇多田ヒカルが「SWITCHなんて簡単さ!」と言っているシンクロのおまけつき❤

調整はアロマで、ほとんどが五徳チャクラでした。
調整後の体感としては、アロマをかぐごとにempowerされていき、自然と背筋を伸ばしたくなった!



>> チャクラの本「7つのチャクラ」

>> キネシオロジー東京 森田先生のキネシ道場(毎月第一日曜・東京早稲田)

>> 調整につかったアロマ→五徳チャクラ

2019/08/02

ADHD・HSP傾向。ADHD系さんに送る魔法の言葉。

私にはADHD傾向とHSP傾向がある。
診断・治療の経験からではないが明らかに当てはまりその傾向がある。

HSP。
感覚的感情的に敏感すぎて、たぶんある時期スイッチをOFFにして鈍感に生きていた、のがキネシオロジーをしながらこの7、8年でその感覚の鋭敏さに気づいた、思い出した、戻ってきている、よりよい使い方ができ始めている。

以前から、特に感情に鈍感な人の感情を肩代わりするかのように私が泣いたり怒ったりするのはよくあったことだけども、それが自分の敏感さからくるものということがようやくわかってきた。

そうだなあ、、、境界線と分離かな。境界線を意識することは本当にだいじ。あと、特に感情と一体化しやすかったり、特に私は一部にフォーカスして“全体”にしやすいので、その感情を自分そのものと思わないこと(悲しい、悲しい、とどっぷりと一体化しないで、感情を感じる+私は悲しいと感じている、というフレーズを持つ=俯瞰することが有効)と、あとは人の感情をもらってることがあるのでそのことを忘れない。全て自分の感情だと思ったりその感情とどっぷり一体化するといらぬ泥沼に自らハマることになる。
なんなら、「あーそう思ってるね」くらいの他人事的扱いがいいのかも。

ADHD傾向は、いやまあ参っていた、手を焼いていた。他の発達障害系もそうだけど、なぜみんなが出来ていることができない??というところにもなるので、よくよく自分を責めた。多動はあるかわからないが、不注意、衝動はある。

時間の認識や計画的行動が苦手。
アバウトな時間管理しかできなくて、オンタイムの待ち合わせや講座など時間が決まっていて出席するものが苦手。自分一人で完結する突発的衝動的な行動はよくやる。対人はええかっこしいが出るので考える(笑)
適当な料理はできるけど、レシピ通りの料理や、15分で3品!みたいなのも苦手。

で、こないだADHD系さんに良いなと思う魔法の言葉をもらってずいぶん気がラクになっている。それは「今そうなんだ」ってフレーズ。

よーし今日から〇〇するぞ、っていう継続が壊滅的にできない、続かない、飽きる、忘れる。

幸か不幸か?物の本質を捉えるのは得意なので、ちょっとやったら、あ、これはこういうことなんだな、っていうのがなんとなくわかる。すると、もういいかな、って思う。
ちょっと前まではtryもできなかったからその時はいろいろに興味が飛ぶ(注意散漫)自分、そしてtryできるようになってからも飽きる自分にほとほと嫌気がさしていた。

でもここで「今そうなんだ」ですよ!すると、今まで→「よし今日はこうしよう」→できない→自分を責める、的なループがあったのが「よし今日はこうしよう、と今はそう思っている(5分先のことはわからない)」というひっじょーーーに軽やかでなんの自責も起こさないパターンが出来つつある。

計画通りにできないことが問題なんじゃなくて、できない自分を責めることが一番の害悪。責めて何が解決するか?NO。(だから私は「〇〇反対」系の主張はあまり好きではない。)

そしてね。意識があっちゃこっちゃ散って一つのことが続かない代わりに、興味の対象は広かったり好奇心があったり、また、本質を掴めることも加味して「自分をととのえる」ための、キネシオロジー以外の手段もたくさん知ったしやってみた。それはもしかしてADHD傾向があったからこその宝なんじゃないのか、って急に思えて、なんかすごいホッとした。

ブログも、思いついたときに突発的にしか書けない。毎日コツコツ憧れる。でもムーリー。

これも「ムーリー」は一生無理なんじゃなくて「今はムーリー」なだけ。

だって、何十年も私には絶対できないと思っていた「毎日散歩」がここ5日続いている。なぜか夜中に1時間。このクッソ暑いのに。しかもひっじょーーーに爽快である。明日にはもうやんないかもしれないけどwwwそれでもいいの。半断食も、肉食も、ファストフード食も、引きこもりも、運動も、やりたいときにやれればいい。やりたいときにやれないのが一番悲しい。

で、何の話だっけ?これもADHD傾向かね(笑)

まあ、だからしょうがないでしょとか治らないからということでもなく、実際キネシをしてきてだいぶマシになっているし、やっぱり、持っているものは持っているものとしてその使いようだし改善する部分もあるから気楽にいこうぜってことかな。

週末の講座…時間…やっぱり緊張するなあ(笑)